ネガティブの裏側

ホットココアを片手に素敵なBGMを流しながら、つらつらと綴る。

オタクを辞めた女の末路

 

推し活がポップに認知されている現在、

オタクが生きやすくなったなぁ…と思う。

もう少し早くこんな時代が来ていればよかったのに。

 

数年前まで私もオタクだった。

好きなものは、漫画やアニメやゲーム。

2次元と2.5次元。

推しのミュージカル俳優のファンクラブに入ったり、イベントのために遠征したりしていた。

コロナ禍になって、当時地方に住んでいたから遠征に行けなくなりモヤモヤとしていた。

年齢を重ねて、それまでやっていたTwitterからも離れて情報も入ってこなくなり、

モヤモヤも「もういい」に変わり、徐々に情熱がフェードアウトしていったような感じ。

 

家にたくさんあった推しのグッズも、

引っ越すタイミングでほとんど処分してしまった。

 

インスタでも、素敵なインテリアの写真にワクワクするようになって、

ごちゃごちゃしているけど推しに囲まれた部屋よりも、スッキリとしていてオシャレな部屋に住みたい欲が勝った。

 

素敵な部屋 > 推し

 

なんということでしょう、

オタク真っ只中だった私からは考えられない思考!

 

スピリチュアル的に言うと『エネルギーが変わった』のだと感じた。

 

それまでは、ピンクでレースやフリルがひらひらフリフリした、いわゆるお姫様みたいな部屋にしていたのに(そこに推しのグッズが飾られていた)

それが、モノトーンを主体とした落ち着いたインテリアに惹かれるようになった。

 

 

趣味嗜好が変化した瞬間。

少し戸惑いもした。

でも、私は変わったんだ。

きっと次のステージに行くための変化。

 

実際に、転職したし、東京に引っ越しをした。

 

 

で、今に至るけれど。

 

 

いかんせん、楽しみがない。

 

自己紹介で趣味は何と伝えるか悩むくらいに。

 

好きなものがたくさんあって、

好きな作品の新作が出る!買おう!とか、

好きな俳優があの舞台に出る!観に行こう!とか、

そういう意欲があった頃のほうが断然楽しかった。

 

その頃は推し活を楽しみに生きていたけれど、

今は、何も予定がない日があると、

「どうして私は生きてるんだろう?」と考えることが増えたような気がする。

 

ゲームが好きで、時間があるとオンラインで戦っている彼氏を見ると、楽しそうで心底羨ましい。

 

オタクのままがよかったのかもしれない。

オタクは経済を回すし、人生が楽しい。

だから好きなものから卒業しないほうが、きっと幸せ。

 

だけど私の身に起きた変化は、無理矢理にではなく、ごく自然にゆっくりと変わっていったもので。

過去の自分も懐かしくて愛おしいけれど、

今の自分がまさしく私。

 

ただ、

もう一度、夢中になれるものを見つけたい

そう思う。

性格の違いのおもしろさ

 

楽器を始めた。

本当はアコースティックギターをやりたかったのだけれど、賃貸では存分に練習できないと思い、

小さなウクレレにした。

 

キラキラ、ポロンと

可愛いウクレレの音色に癒される。

 

音楽を楽しんでいる私を見て

羨んだ彼氏がギターを習い始めた。

家でも練習できるからエレキギターにしたらしい。

 

私は最初、エレキギターの割れるような激しい音があまり好みではなかったのだけれど、

ある日、彼氏がイケてるレスポールをお迎えしてきて。

 

なにそれ、カッコイイ!!

 

もともとはギターをやりたかった心が

うずうずし出した。

 

 


ここに

内向的で石橋を叩いて渡る私と

外交的で思い立ったら即行動する彼氏との

性格の違いがあらわれていた。

 

それは陰と陽みたいな。

 

わかりやすいように

私と彼を仮名、月子と陽太としてみる。

 

「楽器をやりたい!」と思った陽太は、

さっそく職場の人に話してみた。

すると、楽器を習ってる人がいたらしく

「いいスクールがあるよ!一緒に行ってみる?」と話がとんとん拍子に進み、仲間と共に習い始めることになった。

自分のギターが欲しくなった彼は、すぐに有名な楽器屋さんへ。

そこでとあるギターに一目惚れして、まだ習い始めて数日しか経っていないのに

一丁前にギブソンの高級ギターを買ってきた。

彼曰く「後戻りできないように、あえて高価なものを買った!だから練習を頑張るんだ!」

衝動的だが、ポジティブに全振りしている。

 

一方、

「エレキギターが気になる!」と思った月子は

エレキギターの種類や仕組みについて調べ始めた。

ギターを始めるとしても、習いに行こうとは思わない。そういうスクールとか苦手だし。

ひとりで好きに黙々やりたいから、独学で上達できる方法を調べる。

最初のギターも慎重に選ぶ。

貯金もしたいし、現実的に楽器に出せる予算内で考える。

「続くかどうか分からないから、とりあえず安価な初心者モデルから始めたい」

次の給料が入ったらギターを買おうと考えている。

 

どちらのタイプが良いとか悪いとか

そんなものはなく。ただの性格であり個性。

だけど、

良い意味で他人を巻き込んで周りの人のサポートを受けて、世の中をじょうずに渡っていく陽太が羨ましいと

月子は思う。

 

無駄に知識だけを増やしていき、

募るギターへの想い。

それはそれでまた、ワクワクするし、

月子は月子なりの楽しみ方で。

 

ハートの感覚に従う、とは?

昨年の夏か秋頃にこの本を読んで、

『いい気分』でいることを心がけてきた。

それでまぁ、少しはいい風に現実が変わってきたような気もするけど、いまだに『いい気分』の感覚を掴めていない。

 

『いい気分』とは、このように書かれている。

 

 

ベースは、「全ての願望が叶ったときの感覚」。

つまりは、過去や未来や他人のことなどモヤモヤ考えておらず、今この瞬間ハートのあたりが満たされている感覚です。

p46

 

 

自分のいい気分の感覚をつかむには、頭でいろいろ考えるよりハートの感覚を日々重視してみるほうが早いのです。

p70

 

言いたいことは分かるのだが、

その感覚を日常で思い起こすことは、なかなかムズカシイ。

 

先日も、悩んだことがあった。

マックのてりたまバーガーが食べたいなと思った。

そこで、出てきた思考が

「ジャンクフードに800円もかけるのは勿体無い気がする」

何もなければ普通に買っていたと思うのだけど

今の私は「引っ越し代を貯めたい」という思いもあり、なるべく節約したいと考えていた。

 

こういうとき、

引き寄せの法則的に言えば、

欠乏感にフォーカスせず

お金はもう既に持っていることに感謝して(買おうと思えば買えるし、生活に大きな支障をきたすわけでもないのだから)

いい気分で、我慢しないで食べたいものを自分に食べさせてあげる!

そんな感じよね。

 

頭でごちゃごちゃ考えずに「てりたまバーガー食べたい♡」いいよ♡で完結しちゃう感じ。

 

でも私は後のことを考えてみて、

食べ終わったときに「あー美味しかった♡」というよりも、きっと「800円あれば何が買えただろう?」と後悔する気がした。

 

自炊はしたくない日。

たとえば800円前後を同じ食費とするならば、

ハンバーガーセットを1つ買うよりも、

スーパーでお弁当を買ったら500円くらいだから他にも翌日のパンとかも買える

どっちがいいか?

 

これって、ハートの感覚がどうこうじゃなくて、

すごく現実的に頭で考えていることだと思うのだけれど…。

 

結局、スーパーでお弁当を買った。

 

お弁当美味しかったし、

たくさん食べ物が買えてよかった!と後悔はしていない。

 

私の本音って、こうだったのかな?

引っ越し代貯めたい > てりたまバーガー

実際は「てりたまバーガーを食べたい」という気持ちがそこまで強くなかったのかもしれない…。

 

自分の本当の気持ちに気付くことも、なかなかムズカシイ。

 

今回の出来事を踏まえて、

改めて整理をしてみた。

 

たとえば、

「◯◯がしたい!」と思ったとして、

「でも…××したほうが現実的にはいいかも」という思考がわいてきたとき。

 

引き寄せ界隈でよく言われているのが、

頭で考えた「一般的に〜」とか「こうしたほうが得かも〜」とか、そういう小賢しいことは気にせずに「◯◯がしたい!」と思った自分の感覚を信用して進め!的なこと。

 

だけど、

その「でも…」という思考のほうが少し《安心》したりするのなら、そっちが正解ってことなのかな?

 

ハートの感覚とか直感とかって何なんだろう?

頭で考えたことに従って後悔していないなら

それもハートの感覚に従えたってこと?

ハテナが尽きぬ…。

 

一番は、後悔しない選択をすることだね!

自分の見た目をまるごと愛してあげたい

 

最近、容姿について考え直したことがある。

今まで私は見た目に執着してコンプレックスを気に病むタイプだったのだけれど、

あるときを境に「まぁ、私は私か」と受け入れられるようになった。

 

それは、YouTubeでひろゆきさんの動画を見た影響も大きかった。

彼は動画の中で「整形をしても整形したブサイクになるだけ」「見た目でちやほやされるのは若い時だけ」「人の顔ってどういう表情をしてるかのほうが大事」などなど、

確かにそうだなぁ…と冷静になれる、現実的な意見をスパッと言い放っていた。

デブでブサイクなひげおやじさんでも幸せに暮らしているという話をよくしていて、

なんだか見た目のことで神経質になって悩んでいることが馬鹿馬鹿しくなった。

 

そして新たに、このような動画に出会った。

【自分の顔が嫌いなすべての人へ】ブラジルの大人気youtuberが教えてくれる「本当に魅力的な人って?」

 


www.youtube.com

 

ブラジルのYouTuber ガビ・オリヴェイラさんという方らしい。

 

彼女は、自分の顔のすべて、ありのままを受け入れて、愛していた。

瞳がキラキラしていて笑顔がとてもキュート。

 

ひろゆきさんの動画で、必要以上に美人を目指すことを諦めた私は、

さらにガビさんの動画で、自分はこのままでも充分オッケーであることを許容した。

 

この動画のコメント欄には、

「元気がでました、ありがとう」

という意見がたくさんあった。

だけども、中には

「この人は目が大きくて二重だし美人じゃん」

「顔の悩みは整形でどうにでもなるけど、体の悩みはどうしようもない」

「何を言われても響かないほど自分の顔が嫌い」

そういう人たちもいた。

 

芸能人や可愛いインフルエンサーを見て

「綺麗だなぁ、いいなぁ…人生楽しいだろうなぁ…」と恨めしく思っていたちょっと前までの私みたい。

 

ないものねだり。

自分のコンプレックスが受け入れられなくて、

自分で自分の容姿を愛せないんだよね。

長い間そうだった。

 

私が吹っ切れたのは、考え方が変わったから。

「美男美女なんて両親の遺伝子から違うのに、そのレベルに立ち向かおうとするなんて滑稽すぎるww」

「私は顔を売りにしている芸能人ではないし、何者のつもりww」

と、語尾に草を生やしてみた。

 

最初は、うっざ!そんなことわかってるよ!何なの!?ってイラつくかもしれない。

でも容姿に悩みそうになるたびに

必死すぎワロタ(´^ω^`)ブフォwww

と草を生やしまくっていたら、

うん…?そうだよな…時間の無駄な気がしてきた…私は何をこんなに血眼になって他人と比較をしているんだ…?

と今の自分を一旦受け入れるモードに入る。

自分で笑いながらツッコミを入れることで、容姿が絶世の美女じゃなくても、なんだかそんなに大した問題ではなく感じないだろうか…?

(だいぶ荒治療)

 

いつの日か、みんなが『あなたも私も、そのままで素晴らしい』そんな風に
見た目に優劣をつけずに、ありのままが愛される優しい世の中になればいいのになぁと心底思う。

 

自分が思っている以上に自分のことを知らない

「趣味は何ですか?」

「最近ハマっていることは何ですか?」

そういうのを考える機会があって、

改めて考えてみたのだけど、パッと思いつかなかった。

好きなことは、もちろんあるのだけれど。

ただ、

そのどれもが、掘り下げられると困ってしまうような気がして。

そう、つまり、他人に伝えてもいい情報かどうか悩んでしまう。

 

本を読んだり、絵を描いたり、家にこもって映画を観たりするのは好き。

だけど、気が向いたときにたまにやる程度で

それらにめちゃくちゃ時間を費やしているわけではないし。

 

そう考えると、

あれ?普段の私って、何して過ごしてるんだっけ…?と分からなくなった。

自分のことなのに、「あなた(私)はどんな人ですか?」と問いたくなった。

 

それだけ私は、自分の《好き》を味わうことなく生きていたんだ。

 

ひとつひとつ、

普段の自分が何気なく楽しんでいることを丁寧に思い返せば、

あ、YouTubeでゲーム配信を見るのが好きだわ!とか、出てくるのだけど。笑

 

『私はこういう人間です』っていうのを、

うまく他人に伝えることができない。

 

いつからだろう…?

小学生の頃は自己紹介シートみたいなものが流行っていて、

自分のことについてアレコレ好きなことを自由に書くことができたのになぁ。

 

変な人って思われたくないし、

当たり障りのないことを言って済ませておきたい。

そういう保守的な気持ちも相まって。

初対面の人にド正直に自分のマニアックな部分を晒す必要はないとは思っている!

 

たとえば「猫が好きです」とか。

暇があればインスタで可愛い猫の写真を眺めてにやにやしてるよなぁ〜私。とか。

 

 

なんかまぁ、そういう他人に教えても差し支えのない情報から、

自分の《好き》を細かくちゃんとインプットしておかなければ。

 

もっと自分のことを知らないと、

アウトプットできない=他人ともうまく付き合っていけない。

 

人付き合いが下手な私の直したいところ。

宇宙元旦

3月20日。

春分の日の今日は、宇宙元旦らしい。

なんぞや?って思ったのだけれど、

占星術やスピリチュアル界隈で言われている言葉で、占星術家のKeikoさんが広めたとかなんとか。真相はよく分からない。

 

占星術的にみて、太陽が12星座のトップバッター牡羊座に入るタイミングだから

要は『1年のスタートとなる重要な日』らしい。

 

だから春分の日以降は、新しいエネルギーが溢れていくよ

やりたいことにはチャレンジしていこうね!っていうことが言いたいのだと思う。

本来の自分とは違うルートに入り込んでしまっていると、そりゃあうまくいかないから、軌道修正してね。って。

 

私は占いは好きだけど、正直、星座占いはあまり信用していない。だって、◯◯座の性格とか毎朝の運勢ランキングとか当たってないんだもの!笑

 

だけど、今日から新たにまた人生の舵を切り直せると考えると、いくらか気持ちがラクになる。

 

信じてみたら、楽しいかもしれない。

 

あのミランダ・カーも、パワーストーンの力を信じていて「私は人生に魔法があるのが好きなのよ♡」って言っていた。

 

私も魔法がある人生のほうがいい。